余命宣告からの大晦日に退院!!!
先日、少しブログで触れた、おチビのママのこと。
急性リンパ性白血病と診断されたのは2018年8月のこと。
それから、約1年かけて抗がん剤を6クールやって来ました。
途中、メソトレキセートという抗がん剤の副作用で脳症を
起こし、(今でも手足のしびれ、言語障害が残っています)
メソトレキセートを除く抗がん剤を使ってなんとか
6クールを終えた今年の7月に治療終了という形で退院!!
でも。。。
わずか3週間後に再発していると言われました。泣
あくまでも延命治療にしかならなくて、余命6ヶ月、持って1年
と言われました。(;_;)
1年間苦しい思いして、だけど必ず良くなると治ると信じて
抗がん剤をやって来たのに、こんなにあっさり再発してしまうなんて、、、
おチビは涙が止まりませんでした。
えーん えーん(;_;)
抗がん剤がダメなら、残された道は1つ。
造血幹細胞移植(骨髄移植)しかありませんでした。
いや、まだ治療方法があるだけマシ。
それでも、移植は命がけの治療で、リスクがとても高いので、
命を落とすと。。。
おチビのママと家族と先生としっかり話し合った結果
「移植にかけてみよう」という答えになりました。
でも、移植を決めてからは、不思議と
「移植するからには治して復活するんだ」と、不安な気持ちよりも
未来はある、となぜか思えていました。
そして9月に移植設備が整った今の病院に転院。
一旦、寛解(体の中のがん細胞が5%以下)の状態にするために
ベスポンサという抗がん剤を使用。
見事に1クールで寛解に入りました。
そして、10月上旬ドナーとなったおチビの妹も入院して、
移植に必要な造血幹細胞を摂取。
先生から「移植に使える良い細胞がいっぱい取れました!!と
報告を受けました。
そして、
10月25日に移植の日を迎えました。
ママのお部屋には、開放厳禁の紙が貼られ、無事に
妹の造血幹細胞が生着する日まで、部屋から出られなくなりました。
生着するまでは自力で血液が作れない状態なのでたくさんの輸血をしながら
生着する日を待ちます。
1%くらいの人が「生着不全で命を落とします」と聞いていたので、まずは
生着する日までは、もうピリピリした状態でした。
自力で血液を作れないママの体は、もう体を起こすことさえできない
くらいに弱り果てていました。
移植を決めてから、「未来はある」と思っていたけれど
「なんだかんだ大丈夫」なんて能天気に思えるはずもなく。。。
Bossには申し訳ないけれど、実家にしばらく帰らせてもらいました。
少しでもママの近くに長くいれるように、1日12時間とか、、、
病院でずっとママに付き添っていました。
もう、ここまで来たら祈るしかない。
毎日病院で過ごして、ママのために、という気持ちもあるけれど
「万が一の時に、もっと一緒にいてあげれば良かった、とか
自分が後悔しないために、やれることをやろう」という覚悟でもありました。
そして、移植して13日目に無事に生着したのです。
生着してからも山あり谷あり、体の痛みが強くモルヒネを使いながら、
1日1日家族で協力して、なんとか乗り越えて来ました。
病気や治療に関しては先生にお任せするしかないけれど、
メンタル面でのサポートは家族に勝るものはないと信じて
毎日一緒に病室で過ごして来ました。
そして少しづつ、日に日に回復して来ました。
やがて、モルヒネが外れ、全ての点滴が外れたのはまだ2週間ほど前のこと。
病院内なら売店とかレストラン行って良いよと許可が出ました。
そして、先生が
「生活に補助がいる状態で、いきなり退院は無理だろうから、
一度外泊してみてください。」とクリスマスの12月25、26日と
家で過ごすことができたのです⭐︎
それから1週間して、ついに退院許可がおりました!!!!
移植してから2ヶ月と1週間という最短での退院を迎えることが
できました。
ってか、大晦日に退院ってできるんだね。笑
おかげで、今年は最後の最後までバタバタだよー!!汗
来年は南の島とかで年越しできたらいいなー
落ち着くまではママのことを1番に、と言ってくれたBossのサポートが
あったから、家族で協力して、おチビ達は全力でママのサポートをすることが
できました◡̈⃝
ありがとう◡̈⃝♡
来年はゆっくり好きなことして過ごせる1年になるといいなʕ•̀ω•́ʔ✧
あと、30分ほどで新年です。
みなさま、よいお年を♡
来年もおチビブログをよろしくお願いします。